2013年2月4日月曜日

サバティカル日記 22 ダカール3

ゴレ島行きの船の時間まで1時間あったので、カフェに入って昼飯を食って時間を潰したとき、あるイタリア人が話しかけてきた。いろいろ話したあとで、ところでどうなの、ダカールは好きか?と。どうしようもないところと面白いところがあるよね、と答えると、彼は突然、ダカールの悪口を次々と言いだした。最低だと言う。アフリカはどこへ行ってもきったねえし、金にもやかましい、なんだこいつら……。そういう気持ちも分からないでもない。ダカールは危険だし、傍若無人だ。空気の悪さと言ったら凄まじい。特に冬の時期が酷いらしい。それはモロッコのベルズーガやワルザザードでも、冬はとにかく風が強くて砂が舞うと言っていたことを思い出したが、そういうことじゃない。いわゆる公害だ。頭は痛くなってくるわ、喉はガラガラになるわ、目はちかちかするわ、どうにもこうにも環境は劣悪である。人間もホントに劣悪人間が多い。

一刻も早く家に帰りたいよ、とベローナの近くに家があるという彼は言っていた。ベローナ、知っているか?と聞くから、中田英寿は知っているか?と尋ねると、とたんに顔をほころばせた。中田はベローナにいたからな。イタリアだから、というよりも、ここセネガルでもモロッコでも、みんなサッカーに夢中だった。スポーツというとセネガルの国技はレスリングだそうだが、みんなサッカーだ。テレビ番組はサッカー。モロッコでもバスの運転手が途中休憩の時にサッカーに夢中で運転しに戻りゃしない。客も戻らないから良いのだろうが、それにしても凄いもんだと驚いた。誰かが点を入れたときなんて、バスの中が大騒ぎだった。テレビを囲む姿は、昔々のプロレス中継と一緒だった。
 この最悪とまで言われるダカールだが、それでもまだマシなんだろう。経済的には西アフリカの優等生だそうだ。

ダカールの美術館に行ってみた。それはそれは凄い。一点一点を激しく見入ってしまった。岡本太郎が見たら、さぞや興奮しただろう。力感に溢れている。仮面がメインになっている美術館だが、見ようによっては縄文である。原初的な力が四方から取り囲んでいるような力業だ。こういう美術を見ると、西洋美術で起こったいろいろな運動は、とっくの昔々にアジアやアフリカでやられていたことだと改めて気付かされる。体系だっていないだけで、原初的な、自由な激しさに満ちているのである。セネガル、マリ、ブルキナファソ……。マリのアートも多かったが、ホントにマリに行けなかったのは残念だった。自由な発想に充ち溢れている。
 音楽も同じである。あの声の伸びやかさ。リズムの多彩さ。伝統楽器の強み。それらはまるで大地を流れる風のように響いてくる。

どんなに街の状況が劣悪でも、こういう文化を持ち得ていることで、僕の中では帳消しになってしまう。

そしてゴレ島に行った。ゴレ島は奴隷貿易の拠点だったところだそうだ。案内をつけずにひとりで歩いた。誰とも語らずに歩くが、やはりここでも女性たちがやけに親しげである。それはオレがセネガル女性に人気があるということなのだろうか?とふと思ってしまうほどである。けれど、それとは別に建物や花々、波の白いしぶきがやけに寂しさを募らせていた。狭い島だが、なんとも言えぬ空しさがそこかしこから漂う。

今では奴隷貿易を売りにして、売られた側の人々がそれを商売に使っている。

さて、今からセネガルとはおさらばだ。イスタンブールを経て、テルアビブ入りする。


2013年2月3日日曜日

サバティカル日記 21 ダカール2


 ダカールは面白いが、貧民が多い街でもあって、そういう街では人は完全に二分される。
  ここも金のない連中は凄まじい勢いで金を求めてくる。そして、結構危険でもある。イヤになってしまうくらい金、金、金。ここで怒鳴ったのはもう3回になる。怒鳴るときは日本語が良い。その方が感情がストレートに出る。一人ならまだ良いがチームになってやって来る奴等もいるから、気をつけないと危ない。ちょっとヤバイ連中かもと思ったら、寂しい方向へと歩いてはダメだ。気付かれないように付いてこようとして、壁の陰にふたり組とか三人組で隠れるのである。特に衣装を売るような格好をしているヤツが危ないことに気付いた。つまり衣装で何をしているかを隠し、その間に他の連中がなにかをしでかすのだろう。夜もまた、危ない。街灯がないから黒人はまったく見えない。闇に紛れてしまう。この辺りの黒人はホントに真っ黒だから、闇に溶けるのである。そして突然、ヒュッと現れる。
  ある小銭ねだりの男がずっと付いてきたから、果物屋で果物を買った。そこは行きつけの店でもあり、すると手慣れたもので、みかんを一個与え、すぐに退散させていた。お前は中に入ってな、という具合に僕は椅子を用意されて座って見ていた。この人たちは、ほんとに人なつこい。握手を求めて来る人たちも多い。正業について働いている人と仕事にあぶれている人では、まったく顔付きが違う。
 ここはインドより悪い。

 思えば、エッサウィラでもメクネスでもマラケシュでも、ダカールに行くというとみんなイヤな顔をしていたことを思い出す。ダカール、とんでもねえと。メクネスの宿のオバサンは昔行ったときにどれほどイヤな思いをしたか、ということをこちらが飯を食っているのに延々と語ってきかせてくれもした。昨日、日本大使館の方とも会ったが、この町面白いですね、と言ったら、不思議なものを見るような顔で見返していたから、僕のような感想を持つ人は少ないのかも知れない。

 街は凄まじいほどの空気の悪さだ。歩くとすぐに目が痛くなる。ホテルの窓を開けていると埃が入り込むし、排ガスの匂いやらモロモロ、あまりに環境が悪い。毎日、空気の悪さゆえ、空が曇り空になってしまう。咳き込む。どうしようもないほどの劣悪な環境。車の渋滞、いや駐車した車と移動する車と歩く人間が一体となって混沌としているから、路上を歩くことがとにかく危険である。それにユッスンドゥールは大臣になってしまって、もうほとんどライブ活動はやっていないらしく、楽しみにしていたライブを見ることもできない。なんてこった、というほど、希望が消えていった街である。
  それでも僕はこのa町に居続けた。

 こんな酷いところはあまりないなあ、と思うからでもあるが、イヤな人間ではなく、良いなあと思える連中もまた多いのである。まったく言葉が通じないおんぼろタクシーの運転手でさえ、良いヤツに当たるととにかく親切だ。タクシーはホントにボロボロ、ボコボコである。そのくせホテル代だけは日本より高いもんなあ、不思議。道を尋ねると、親身になって世話してくれようとする人もいる。でもみな、フランス語だから何だか分からない。英語を理解する人はほとんどいない。

 それにお姉ちゃんたちが面白い、というかかわいらしい。結構、みな、ツンとした顔をしているんだ、カフェでも店の売り子でも。でも、ひとたびそのツンが面白くて、微笑むと、突然、顔を一変させ、はにかんだ顔になってしまうんだな、このツン姉ちゃんたちが。それはそれはかわいらしい。まるで浄瑠璃人形である。溶けちゃうんだよね。顔。でもここにいる白人、特にフランス人だろう、彼らの店に入ったりしても、何も表情が変わらないから面白くも何ともない。ツンツンセネガルの美女たちの、一瞬見せるトロッとした顔は実に精神的に良い。

 さて、そしてここにいた最大の原因は、やっぱり音楽である。昨日、今日とライブに行って来た。どちらも痺れた。セネガル音楽は凄いね。伝統に則って、そこから伸びのある声、コラという楽器の響きに心底、やられた。今日も途中までは杉田二郎のセネガル版みたいなイメージを持っていたのだが、途中からまるで変わった。猛烈なリズムと伝統楽器の強み。それから途中で歌った女性歌手の歌はまるで演歌だった。これが素晴らしかった。歌は良い。屋外の、まだ昼間の排ガスの匂いが残る空気を吸いながらだったが、音楽がそれらのマイナスをすべて帳消しにして、ああ、もっと聴いていたいと思わせるに充分だった。

 ダカール。音楽の街だ。

2013年2月1日金曜日

サバティカル日記20 ダカール初日

笑っちゃうね、という感じでダカールが始まった。
 しょうもねえ連中もいるけれど、ここの連中の方がまだモロッコにたくさんいた蠅のような奴等よりいいなあと思える。驚いたのは、買い物をした後、釣り銭がないから次来たとき持ってきてくれ、と私に言った店の親父がいたことだ。次来る?来ることを確信している?へえ、っと驚いた。どう見たって外国人。ましてや英語で喋っているのだから。

 ここもフランスの植民地だったから、フランス語をみな喋る。フランス語が公用語だ。それに共通語としてウォロフ語というのがあるそうだ。でもホテルでもどこでもフランス語しか書かれていない。セネガルが独立したのは1960年のことだからもう50年以上にもなる。1815年にフランス領になり、だから145年はフランスに属させられていたことになる。でも未だに公用語はフランス語である。言葉はアイデンティティだから、フランス語を公用語とすることへの抵抗運動はないのだろうか?バルセロナのあるカタルーニャは未だ独立運動が盛んだけれど。

 ホテルの態度の悪い従業員。昨日、僕が来たときは水をチュウチュウ吸いながら、人のことをねめ回していたけれど、一日経ったら、やけに人が良くなっている。彼は夜の担当なんだが、昼の受付のモハメッド兄さんもまた、ちょいとトンチンカンに親切ではある。こういうトンチンカンな親切というのは実は困ったものでもあるんだが。まあ、嫌う人も多いだろうね。いわゆる通常のサービス感覚じゃない。でもホスピタリティは意外にあったりするから面白い。

 ダカールは物価が高い。全然安くない。感触的にはスペインより高いような……。けれど、全然インフラはなっていない。昼から5時間ほど歩き回ってきたが、もう顔が排気ガスやら埃やらで、ざらざらになっている。そこには汗が蒸発して塩になっている成分もたくさん混じっている。
  モロッコとは全然違う。こちらの方が近代国家ではある。しかし、夜になるとダカールの目抜き通りであるポンピドー通りを除くとまったく街灯がない。真っ暗。近代的高層ビルが次々と建ち並び……と言う人がいるけれど、まあね、そこまでは行かないよね。だからまだいいのかも知れない。

 この街の、たまに出会う英語のできる連中と話をすると、もう文法も単語の発音も滅茶苦茶だけど、凄まじいスピードで知っている単語を並べていく。これは凄い。笑っちゃうほど何を言いたいのか分からないのだが、間がないから、なかなか聞き返せない。昨夜のロイアルエアーモロッコでカサブランカからダカール入りした時の機内の英語も凄まじかった。まるっきり分からない。フランス語なのか英語なのか、それらが混沌としながら出てくる英語だから、さっぱり理解できない。それでもお構いなく次々と言葉を繰り出してくる。今日の兄さんは、インポータントをインポータンスと言って別に悪気なく、たまたま知っているのがインポータンスなんだと思うけれど、それが15秒に一回くらいは登場するような感覚で速射砲の如く語り続けるインポータンス兄さんだったのである。

 女たちの目つきは色っぽいというかエロい目をした女がなんでこんなに多いのだ、と思えるくらいエロい女たちの街である。かなり太ってしまったお姉さんもたくさんいるけれど、非常にスタイルの良い人たちもたくさんいるし、太くても目つきはエロい。ぎょっとするくらいの美女もいる。慣れてしまえば(すぐだ、一瞬で慣れる)、別に黒い肌をしているかどうかはまったく気にならなくなってしまう。でも、ああ、まだまだなんか動物のようだと思う。肌が黒いのも魅力的だなと思う。

 夜は「東京飯店」という中華料理屋に行く。東京?がなんで付いているかサッパリ分からない。店主に聞いてもまるで英語は理解しないし、店主も思いつきでつけたとしか思えない。東京魚、なんてメニューがあったな。なんじゃそりゃ、ではある。英語は通常はほぼ通じないのである。たぶん広東からの人だろう。ああフライドライスの美味いこと!しばらくぶりの中華のうまさ。ここのおばちゃんにやけに親しげな顔で見つめられて少々おどおど。

 今夜はJUST 4 Uというライブハウスに行こうと思っていた。が、何時に始まるか分からない。わざわざタクシーに乗って行かなければならないから、ちょいとそこまで、というわけにはいかないのだ。ユッスンドゥールのライブももしかしたらクラブチョサンという彼のライブハウスで土曜にあるかも。でも開始が夜中の2時なんだとか。眠くてしょうがねえ。でも行かないわけにはいかないでしょ、あるならば、ね。だから明日はJust 4 U で、明後日はClub Chosan だ。スペルはたぶん間違えているだろう。

 そこでその代わりと言っちゃなんだが、たまたま東京飯店から帰ってきたらホテルの向かいにあるレストランから音楽が漏れている。このレストランはホテルのレストランで、ロンプラでは絶賛していた。するすると音楽に惹かれて入ってしまう。けれど、音楽家たちはみんな黒人で、客は全員が白人という図式。そして音楽は白人好みの音楽。アメリカンミュージックなんてやってもしょうがねえだろう、と思うけれどね。ああ、嫌だねえ、こういうのはと思いつつ聞く。巧くもない。そしてマネージャーが白人で、これまた従業員たちが黒人。音楽をくっつけておけば良いというものじゃないだろう。