2013年2月3日日曜日

サバティカル日記 21 ダカール2


 ダカールは面白いが、貧民が多い街でもあって、そういう街では人は完全に二分される。
  ここも金のない連中は凄まじい勢いで金を求めてくる。そして、結構危険でもある。イヤになってしまうくらい金、金、金。ここで怒鳴ったのはもう3回になる。怒鳴るときは日本語が良い。その方が感情がストレートに出る。一人ならまだ良いがチームになってやって来る奴等もいるから、気をつけないと危ない。ちょっとヤバイ連中かもと思ったら、寂しい方向へと歩いてはダメだ。気付かれないように付いてこようとして、壁の陰にふたり組とか三人組で隠れるのである。特に衣装を売るような格好をしているヤツが危ないことに気付いた。つまり衣装で何をしているかを隠し、その間に他の連中がなにかをしでかすのだろう。夜もまた、危ない。街灯がないから黒人はまったく見えない。闇に紛れてしまう。この辺りの黒人はホントに真っ黒だから、闇に溶けるのである。そして突然、ヒュッと現れる。
  ある小銭ねだりの男がずっと付いてきたから、果物屋で果物を買った。そこは行きつけの店でもあり、すると手慣れたもので、みかんを一個与え、すぐに退散させていた。お前は中に入ってな、という具合に僕は椅子を用意されて座って見ていた。この人たちは、ほんとに人なつこい。握手を求めて来る人たちも多い。正業について働いている人と仕事にあぶれている人では、まったく顔付きが違う。
 ここはインドより悪い。

 思えば、エッサウィラでもメクネスでもマラケシュでも、ダカールに行くというとみんなイヤな顔をしていたことを思い出す。ダカール、とんでもねえと。メクネスの宿のオバサンは昔行ったときにどれほどイヤな思いをしたか、ということをこちらが飯を食っているのに延々と語ってきかせてくれもした。昨日、日本大使館の方とも会ったが、この町面白いですね、と言ったら、不思議なものを見るような顔で見返していたから、僕のような感想を持つ人は少ないのかも知れない。

 街は凄まじいほどの空気の悪さだ。歩くとすぐに目が痛くなる。ホテルの窓を開けていると埃が入り込むし、排ガスの匂いやらモロモロ、あまりに環境が悪い。毎日、空気の悪さゆえ、空が曇り空になってしまう。咳き込む。どうしようもないほどの劣悪な環境。車の渋滞、いや駐車した車と移動する車と歩く人間が一体となって混沌としているから、路上を歩くことがとにかく危険である。それにユッスンドゥールは大臣になってしまって、もうほとんどライブ活動はやっていないらしく、楽しみにしていたライブを見ることもできない。なんてこった、というほど、希望が消えていった街である。
  それでも僕はこのa町に居続けた。

 こんな酷いところはあまりないなあ、と思うからでもあるが、イヤな人間ではなく、良いなあと思える連中もまた多いのである。まったく言葉が通じないおんぼろタクシーの運転手でさえ、良いヤツに当たるととにかく親切だ。タクシーはホントにボロボロ、ボコボコである。そのくせホテル代だけは日本より高いもんなあ、不思議。道を尋ねると、親身になって世話してくれようとする人もいる。でもみな、フランス語だから何だか分からない。英語を理解する人はほとんどいない。

 それにお姉ちゃんたちが面白い、というかかわいらしい。結構、みな、ツンとした顔をしているんだ、カフェでも店の売り子でも。でも、ひとたびそのツンが面白くて、微笑むと、突然、顔を一変させ、はにかんだ顔になってしまうんだな、このツン姉ちゃんたちが。それはそれはかわいらしい。まるで浄瑠璃人形である。溶けちゃうんだよね。顔。でもここにいる白人、特にフランス人だろう、彼らの店に入ったりしても、何も表情が変わらないから面白くも何ともない。ツンツンセネガルの美女たちの、一瞬見せるトロッとした顔は実に精神的に良い。

 さて、そしてここにいた最大の原因は、やっぱり音楽である。昨日、今日とライブに行って来た。どちらも痺れた。セネガル音楽は凄いね。伝統に則って、そこから伸びのある声、コラという楽器の響きに心底、やられた。今日も途中までは杉田二郎のセネガル版みたいなイメージを持っていたのだが、途中からまるで変わった。猛烈なリズムと伝統楽器の強み。それから途中で歌った女性歌手の歌はまるで演歌だった。これが素晴らしかった。歌は良い。屋外の、まだ昼間の排ガスの匂いが残る空気を吸いながらだったが、音楽がそれらのマイナスをすべて帳消しにして、ああ、もっと聴いていたいと思わせるに充分だった。

 ダカール。音楽の街だ。

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