2013年1月10日木曜日

サバティカル日記7  1月9日 午後8時10分

1月9日 午後8時10分

 昨日の14時にセビリアに入った。アンダルシアは良い、というか僕のからだにフィットする。けれど寒い。クソ寒い中、レストランやカフェに行くと外を勧められるのだからね。暖まりたいのに外にも暖房があるから外の方がずっと良いじゃないかと。
 
 昨夜、どうにも寝られず(珈琲の飲み過ぎ?)、やはり気管の調子が良くない。寝ているときがダメで、起きると問題が消えるのだからどうなっているのか?昼間はまったく問題ない。夜になると気管がオカシイとなってくる。

 それでも昨夜、セビリア一(と言われるらしい)のタブラオに行ってきた。コルドバのタブラオでいたく感激し、再び行ったのだが、コルドバのタブラオを凌いで素晴らしかった。値段も倍近かったが、感激すれば値段は気にならなくなる。値段に意識が行くのは公演後つまらなかったときだ。
 フラメンコがどうやって成り立ったかは分からないけれど、音楽的にはまさしくアラブとロマだ。アラブの旋律とロマのリズムが入り込んでいるのだから得も言われぬ魅力を放つのは当然で、妖艶で濃厚な芳香が漂う。ヨーロッパの音楽や舞踊とはずいぶん違う。アイリッシュダンスは足でリズムを叩き出しつつ、上にも伸びていくが、フラメンコの足によるリズムの叩き出しはすべて下へ下へと下がっていく。その点でもヨーロッパの舞踊の系譜には入らない。多くの舞踊家たちがクルクルと回るとき、ポイントを地面に付けている。まったくバレエ的ではない。そして感情を露骨に表に出してくる。派手な顔をした人たちが、すべての感情を舞踊に託してたたきつけているようであるが、音楽もまた同様で、ギターと歌と手拍子と舞踊家の足のリズムによってポリフォニックなリズムを形成しつつ、コブシを回しながら歌われる歌はそのリズムに乗りながら、熱情を高らかに歌い上げていく。これが実に豊かで感情がふくよかであれば、見ている方が興奮しない方わけがない。この日の歌い手は皆、素晴らしかった。舞踊家たちにもかなり唸らされた。
 闘牛ももともとアンダルシア地方で興り、フラメンコもそうであるから、これは沸々とたぎる血と死をイメージした生の歌であり踊りなのだろう。とにかく素晴らしい踊りと音楽に酔いしれた。

時間がなくて、計画らしい計画を立てずにスペインに出て来てしまった。今後にしても大雑把な予定だけしか立てていない。そもそも3泊4日くらいの旅の出で立ちで40日を過ごすのである。全部で10キロの荷物しかないから、軽い軽い。そもそも荷物を預けるのが嫌だから、とにかく徹底して軽くしている。カメラもこのために軽いカメラを購入してきた。一眼レフのレンズ入れると1キロ以上にもなるカメラは辛いから、オリンパスの今宣伝しているOMにした。一応一眼だし、形が良いから持っていても楽しい。けれど、やはりニコンD800にしておけば良かったかな。物足りないのは仕方がないので何を取るかだ。

マリ共和国が危険になりつつあるということは情報としては知っていたが、在日マリ共和国のスタッフは「北部は危険だが後は大丈夫」と言っていたのでそれを信じていた。けれど、在マリ日本大使館の参事官の方からメールを頂き、「危険だから可能な限り来るな」という状況らしい。今週中にも北部のイスラム原理主義組織が南進を始めるとのこと。モプティは原理主義組織の管轄に入ったとも。ドゴンにはとてもじゃないが行けそうもない。すでに日本人は皆避難していると言う。外務省の海外渡航危険情報では、バマコは「渡航しないことを勧める」という勧告だけはあった。退避勧告ではない。ウウム、困った。でも全部飛行機だけは押さえてしまっている。キャンセルがきかない。かつ、今回セゾンに申請したメインはマリ共和国で、マリに行かなければ出てきた意味は薄い。参事官からは大使館としてバマコ以外に行くことはまったくお勧めしませんと言われてしまっている。そりゃそうだろう。
バマコでもライブハウス等、いろいろと見ることができれば嬉しいが、それさえも見れなければ・・・・困った。何でも年末はお通夜のような静けさだったとか。

 セビリアもだんだん飽きてきた。と言うより、ヨーロッパ的なものに飽きが来ている。今日も中心にそびえ立つカテドラルに行ってはみたが、キリストオンパレードであり、その権勢欲の塊であるカテドラルの威容に「なるほど、凄いもんだね」とは思ったけれど、それ以上ではない。キリストの首が横になっていたり、磔キリスト像を見ても、キリスト教徒ではない私には、こうやって見続けることに、そもそもキリスト教徒たちを圧してきた時の権力者たちの意識ばかりが見えるだけとなる。
 今回の旅の最後にはイスラエルに行く。イスラエルは果たしてどう見えてくるのだろう。

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