サバティカル日記8 カサ・バリョ
再び、マリの参事官からマリの状況メールが入る。モプティよりも北部ではあるが、KONNAという街がイスラム過激派の手に落ちたそう。フランス大使館はマリ在住フランス人に注意喚起を促しているとのこと。昨日はなんでもマリ軍の車両が武装グループに強奪されたらしい。状況は急激に悪化しているというから、もう数日でどうするかは決めなくてはならない。何も危険地域にわざわざ足を踏み入れる必要もないし、状況が悪化してくれば、音楽だの踊りだのどころではあるまい。セグーでの音楽フェスもこの頃だと聞いてはいたが無理だ。セグーとKONNAは100キロくらいしか離れていない。とするとボゴタのホテルにいるしかなくなる可能性もある。航空券もボゴタのホテルも押さえているので、それらのキャンセルが利くかどうか?航空運賃は無理だ。利かないように思う。カサブランカ⇒ボゴタ、ボゴタ⇒ダカールは完全に無意味になってしまう。結構高いんだよね、アフリカのチケットって。格安航空券やLCCなんてまったくないからね。まあ、チェック!
今朝早く、セビリア(実際にはセビージャと発音)からバルセロナ入りする。
ついに生でガウディの建築を見た。カサ・バリョを見て回った。何と言葉にしたらいいか、というほど感動した。そもそもガウディがいなかったら僕がこの世界と関わっていたかどうかさえ怪しい。形をなぞっていく度に感動が深くなって、何度鳥肌が立ったか。生き物として息づいている空間。生物の痕跡がそこかしこに残り、それが人と照応しながらさらに高め合う場となって、人がいたらいたなりに、不在なら不在なりに命を持っている空間となっている。
ひとつだけ大きく勘違いしていたことがあった。それはガウディは美学性を重視して、快適さを犠牲にしたのではないか?ということだが、いろいろな面で理に適っているようで、拍車を掛けて深い感動となった。
ただ、ガウディのような人物が生まれ、評価されたのも時の運があったためである。フランスのアールヌーヴォーの運動と時を同じくして、バルセロナでも同様の運動があり、バルセロナが好景気であったために、ガウディは一気に持ち上げられていった。この運動と景気がなかったらガウディの生涯もまったく異なったものになっただろう。
カサ・バリョのすぐ側のカサ・ミラが年に一度きりの1週間の休みとまったくぶつかってしまって見れないのが凄く残念。
あまりの気分の良さにフラフラと、呆然と歩いていた。
やっぱりガウディは素晴らしかった。スペインの生んだガウディとピカソとブニュエルには感謝だ。あなた方がいなかったら、僕は別の道に進んだと思う。それほど大きい影響がある。圧倒的感動とは生命力の宝庫だと改めて思った。
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