2013年1月17日木曜日

サバティカル日記12 ワルザザード②

  朝起きたときから、どうにもスッキリしない。外はまだ明るくなく、街灯がぼんやりと灯ったままだった。神経を休めないできたのが、ここに来てどっと出ているようでもある。その上、カフェ文化だけは発達しているから、緑茶にミントを入れたミントティーを飲むか、ブラック珈琲かカフェオーレを何かにつけては飲んでいる。甘いミントティに限らず、みんなよく砂糖を入れて飲む。このせいもあるだろう。からだの興奮状態が取れない。疲れているはずが、嫌にならず、さらに動きに転じてしまう。

 モロッコに来てまだ4日しか経過していない。でも食事には飽きが来だしている。まずくはない。美味いのだが、種類がとても少なく、油物が多い。油は癖にもなるが、飽きが来やすい。改めて東アジアの食の豊かさに思いを馳せた。日本・中国・韓国の食は本当にゆたかで多様だ。この多様さと人間の精神の共通項はあるのだろうか?あって当然だと思うが、どうなのだろう。
 モロッコもこの辺りに来ると、もはやすべてが土から成っているような感覚に陥る。土や赤土で家は造られるから、家の色味はどこも一緒、土色である。色味が一緒だから、どうにも見分けが付きにくく、幻惑に一層拍車を掛ける。冬のこの時期は風が吹き、砂が舞うのだという。昼間、特に夕方になると目を開けていられないほどだ。明るくても砂によって居場所が分からなくなり、夜になればたいして街灯が点いていないところもあり、モロッコの民族衣装のジュラバを着ている人たちが、まるでネズミ男、ネズミ女に見え、彼らがヒョイヒョイと街角から現れて、すっと消え入るように消滅する。黒いジュラバを着ているとさらにその幻惑感が増していく。色味は黒と茶の世界。

 レンタカー屋の親父とホテルの受付の兄さんに、お勧めの場所を聞いた。小さな街だがとても美しいところがあるから絶対に行った方が良いと勧められた。ワルザザードから43キロほど離れた街。
 レンタカーを走らせた。街道名はカスバ街道。ここを昔はラクダの隊商たちが移動したのだという。ゆっくりゆっくり移動したのだろう。アトラス山脈が続き、これが何百キロにも渡って続くのである。明日はこの街道をバスでひた走り、8時間乗ってベルズーガ入りする。カスバ街道はその名の通り、カスバ、すなわち要塞から成っている。太陽と土とわずかばかりの植物が生えているが30キロ以上は他にはなにもない。それでもその大地でサッカーをやっている子供たちがいる。歩いては手を上げてヒッチハイクをしようとする地元の人たちがいる。あるいはグランタクシーに乗って、途中まで来て、町も家も見あたらないのに道のないところを山の方に歩き出す人がいる。山の向こうに自宅があるのだろう。

 お勧めの町はどうだったか。面白かった。彼らと私の感覚の「美しい」には大きなギャップがあった。ワルザザードからカスバ街道を経て、たぶん逆もそうなのだろうが、メルズーガ方面からカスバ街道を経てこの街に入ると、ここは本当に美しく感じられると思う。色味がある。茶色い色味一色だったのに色が差してくる。ワルザザードもそうだが、他の街は色味が少ないし、カスバの名の通り、土でできた要塞と、砂と赤土が延々と連続している大地を見るだけなのである。この荒涼とした景色に圧倒されるが、この土地に縛られたまま生まれ育ち、死んでいく人たちは決して少なくはないはずだ。この人たちにとって、この町はまさに色味のある、植物のある町であり、ゆえに豊かさと美しさが強く感じられる町なのだ。

 だが、植物はすべて土に覆われて、ヴィヴィッドな色彩ではなく、すべてが土と一体化し出しているようである。砂漠の民がターバンを捲いて食事をしていたり、歩いていたり。砂漠のオアシスなのだ、ここは、と思った。けれど、お世辞にも美しい町ではない。普通の町だが、その普通の町を美しく感じるだけの強い土色の感性を持っているということでもある。この景色、色味を生まれてから見てきた人たちにとって、ここはとても美しい町に違いない。

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