2013年1月28日月曜日

サバティカル日記18 メクネス

 このホテルの部屋はすべて石でできている。まるで穴蔵だ。その穴蔵の居心地の良さにスポリと嵌って、ベッドから出たくなくなる。暖房器具が付いているから寒くはないが、なんとも居心地が良い。
  朝、雨。ざんざんぶり。ヴォリビリスの遺跡に行こうかと思っていたが、雨なので、即予定変更。メクネスでダラダラすることにする。
  昼近くまでは部屋にいて、ゆらゆらと外に出る。オッと、晴れ上がったじゃないか。快晴とまでは行かないが、歩くには気分が良いと思いながら、タクシーで駅に行き、明日のエッサウィラ行きの切符を買う。タクシーの運転手も駅の切符売りのお姉さんも、みんなまったく棘がなく、やけに微笑みが美しく、親切だ。これはどうしたことだ、とやはり不思議な気分。ここも観光地なのだ。
  モロッコではメルズーガのような砂漠地帯を別にすれば(とは言え、砂漠の真ん中で、ノマドを助けてと言われての商談には参ったが)、どこへ行ってもノイジーだったからこの静寂さは不思議。
  カフェでダラダラと過ごす。カフェもまた、他ではこんな風に気持ちよく空気が通り抜けていくような感触のあるカフェはなかった。メディナに戻って歩くがやかましい客引きはまったくいない。たまに呼びかけられて話をしても、顔がいやらしくないから良い。マラケシュやフェズはどうしたらこんな顔になるのと思えるようないかにも駄目の典型であるかのごとき顔をした人間だらけだったから、この穏やかな顔の人たちに不思議な幻惑感を覚える。道を聞いてもわざわざ案内してくれようとする。チップは受け取らない。路上の物売りの人たちでさえ、地図をみんなで見ながら、あっちだこっちだとやっている。もちろん言葉は通じないが、通じないなりに真剣なのだ。親切過ぎて、ちょっとうっとうしくもなるがそれは贅沢というものだ。オレは君たちの親戚の叔父さんでもなんでもないんだよ、オレはあなたがたの友だちの輪に加わったことは一度もないはずなんだけどな……ってな感じ。そっちこっちで「ニーハオ」と呼びかけられる。フェズでは日本人だったのが、ここでは中国人になっている。日本人だよ、と言うと、いやお前の顔は中国人だという。フウン?

 この文化に触れるのが面白い。フェズとメクネスでは距離にして50キロしか離れていない。たったの50キロ。でもまるで違う文化を持つ。フェズの喧噪感がゼロ。人と人との距離感もまったく違う。どうしてなのか?誰に聞いても答えてはくれない。フェズは大都市だから、という人。でも大都市というのは理由にはなるまい。確かにメクネスは大きくはない。でもシャウエンのようなさらに小さな町の客引きでさえやかましかったし、マリワナ売りが何人もいた。おんぼろバスでさえ、荷物代として20ディルハムを要求してきた。これは異様に高い値段だ。10メートルだけ案内して20ディルハムを要求したアホな案内人もいた。逆にもらえるわけないだろ!少しは考えろよ、バカと日本語で言っておいた。せいぜい5ディルハムだ。そして1ディルハムをくすねる連中がそこかしこにいるのである。マラケシュでは、まず人の言うことを信用してはいけなかった。金が絡めば別だ。でも金が絡まないと、みんなツンケンして振り向きもしない。
  ところがメクネス。古都メクネス、という言い方をする人もいるが、フェズはさらに古都である。京都と奈良のようなもの、という言い方も見かけるが、人間性で言えば、まるっきり違うのである。

 街をぶらぶらと歩く。スークに行って、動物たちの首だらけの肉屋の前を通る。牛も羊もみんなさらし首だ。ここでは鶏はその場で絞め殺し、肉を売っている。内臓がその辺に散らばっている。内臓もモロッコではすべて平らげるという。すべてを活かすのは特別ではないが、強く動物の肉とともに生きてきたことを実感せざるを得ない。
  山と積まれた香辛料売り場とピクルス売り場、モロカン菓子売り場を通り抜け、再びプラザという広場に出る。と、そこかしこでベルベル音楽が演奏されている。ベルベル人たちの音楽。明日向かうエッサウィラはグナワという音楽の中心地だというから、楽しみ。グナワ音楽もまた、聞けば本当に面白い。もちろんアラブマグレブ音楽も面白い。アラブ歌謡も楽しい。こういうベルベル系音楽、グナワ音楽、アラブマグレブ音楽、アラブ歌謡……これらが混沌となって常に鳴り響いている。


 どれもこれもが、幻惑装置としての音楽のように聞こえてならない。そもそも音楽には幻惑剤の要素はあるのだが。
  夜、電球の光に照らされた人々の顔がなんとも素敵に見える。街を一周してみる。古都だと改めて思う。戦渦に耐え、時間を育んできた街だが、やはり人々は生きている。遠くから城壁を眺めると、美しく生きた方が、やっぱり得なんじゃないかと思える。水売りがいた。赤い服を着て、イノシシの首だろうか?その皮の中に水を入れて鐘を鳴らしながら売り歩くのである。これはなにかの映画で見たなあと思い、危険性も省みず、即、水を飲んだ。決して美味くはないが、にたっと水売りの叔父さんにされて、こちらもにたっとしたらもう一杯飲めとごちそうしてくれた。うまくないし、危険だが、しょうがない、一気に飲む。さらに一杯くれようとするので、制止。でも、このオッサンの顔が良かった。なんの悪意も敵意もなく、いい顔だった。
  未だ、問題は起きていないから大丈夫だろう。明日はエッサウィラ。

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