1/6 朝9時 コルドバに向かうバス内にて
朝9時。やっと太陽が昇り出したばかり。バスの外は霜が降りて真 っ白だ。指定席に座っているのだが、隣にいるお姉さんが巨体で、 肉塊に押し出されそうな感じ。足も腕も俺の三倍くらいはある。
昨日から気管支の調子が悪い。毎日、歩き過ぎているようで疲れ切 り、夜は飯を食いに出る元気がなくなっている。
4日夜は20世紀美術を集めたソフィア美術館に行く。これが素晴 らしい。毎日19時以降は無料になる。かつ、土曜日は午後2時半 以降が無料。21時閉館だから、平日は2時間見ておしまい。通常 料金は6ユーロだからかなり安い。これがプラドあたりになると倍 はする。僕は19時20分頃に入ったが、観客は入っている。現代 美術に対する取り組みとしては、非常に良い仕組みだと思う。無料 であれば、入ってとりあえず見てみようとなり、見た後、これは面 白いと感じれば、金を払ってでも見ようとするだろう。金がない人は毎日夜に来ればいい。こうして鑑賞眼が付いて、 見ることが日常化していく。毎日21時までやっているのも良い。 仕事帰りに来ることができる。こういう仕組みをもっと日本でもや れないものか。
時間がなくて、この日は2階部分のアートしか見ることができなか った。集中して展示してあるのはなぜか2階と4階なのだ。その2 階部分のアート。20世紀アートはキリストの影が一気に消えるか の如くに見えるほど、キリストから遠くなってくる。キリストは後 ろに引っ込んで、次々と新しい躍動が生まれた。けれど、その根幹 にはキリストといかに対峙するかという問題を常に抱え込んできて いる。無神論ももちろんそうだ。そうした圧迫感が常にヨーロッパ にはある。
膨大なコレクションの中で、ピカソとマッソンが強烈に面白く、特 にやっぱりゲルニカが凄かった。ゲルニカはスペイン戦争を描いた が、グレイの色彩で描かれる画面は圧倒的な迫力で迫ってくる。面 白いというレベルを超える。かつ改めて西洋絵画は数多くの死体と 戦争を描き続けてきたかを思う。
加えて、初めて見たがブニュエルの無声映画がきわめて面白かった 。僕の最もフェイバリットな映画監督はブニュエルなんだが、ブニ ュエルは初期からやっぱり凄いのである。アンダルシアの犬は誰も が知るけれど、この映画は、勝るとも劣らない。タイトルは何だっ たかな?
これらを見た後、フラメンコでも見に行こうと思ったが、疲れ切っ てダウン。
さて、翌日5日。5日はゆっくりしていようかと思ったが、ふらふ らと吸い寄せられるようにトレドの町に行った。トレドは見なけれ ばならない、と言う人が多いので行ってきた。まあ、確かにヨーロ ッパの古都であり、きれいな町ではある。ギリシア人、エルグレコ が離れなかった町としても有名。キリスト教とユダヤ教とイスラム 教が混在化していると言われている。けれど、多く世界を歩いてい ると、こういう町は興味深いが、それ以上でも以下でもない。トレ ドの素晴らしさを誰もが言う割にこの程度か、という感じが強い。 それは観光地化していく中で、町から生活の匂いが薄れ、逆に詰ま らなくしていることもある。が、ヨーロッパ、アメリカ、中南米に 広がるキリスト文化をいろいろと見てくると、所詮、キリスト教文 化であるから、飽きが来やすい。ここに中南米のように土着宗教が 混じりし出すとまた、趣が大きく変わるのだが……。ヨーロッパの 限界はキリストにあり、そのキリストという範囲の中で蠢いてきた 人たちがヨーロピアンで、キリストというボーダーを意識しつつア ートは生み出され、かつアート評価がなされてきた。こう考えれば 、他の文化圏のアートなどはヨーロッパ側の視点から見れば、本道 でなくなるのは当然だろう。だから、エギゾティックな異端であれ ばあるほど良くなる。そして、それは表面的な異端としての相貌を 持っていた方がずっといい。ヨーロッパの内部に踏み込めるはずも なく、踏み込んでもらっては困るのがヨーロッパ側の視点だろう。
それを考えるなら、ヨーロッパに認められたと言って喜んでいるア ーティストは自戒せねばならない。私もかなりヨーロッパで公演は やってきている。しかし、どんなに評価が良くても、その評価には 搾取の視点が入っているように思ってきた。
それとは別に、昼飯を食いに入ったレストランは最高だった。昼飯 を食うにしてはやたらと高かったけれど、美味けりゃいいんである 。味は値段を凌駕するのだ。
さて、マドリッドに戻り、再びソフィア美術館へ。4階に行く。さ らに新しい時代の展示。真っ先に入った部屋では第二次世界大戦時 の死体の写真と映像が次々と。いくつもの頭部がバケツにゴロゴロ と入っている写真。首のない死体がズラリと並んだ写真。ブルドー ザーで死体を次々と穴に落としていく映像。目玉が抉られた写真や ら映像やら、隠し立てせずに展示する凄み。まさに二十世紀とは最 も多くの死体を生み出した世紀でもあった。そして人類が人類とし ての生存のパラドックスを生み出した世紀でもある。
新しい技術としての映像。死。苦悩。文明とはなにかを問い掛ける 。
次第に絵画、彫刻を超えて、新たなアートが生み出されていった。 一方、舞台はどうか。舞台も同じだった。が、しかし、身体という 足かせが重く、足かせに縛られて、身体は逆に小さくなってきつつ あるように感じる。
朝9時。やっと太陽が昇り出したばかり。バスの外は霜が降りて真
昨日から気管支の調子が悪い。毎日、歩き過ぎているようで疲れ切
4日夜は20世紀美術を集めたソフィア美術館に行く。これが素晴
時間がなくて、この日は2階部分のアートしか見ることができなか
膨大なコレクションの中で、ピカソとマッソンが強烈に面白く、特
加えて、初めて見たがブニュエルの無声映画がきわめて面白かった
これらを見た後、フラメンコでも見に行こうと思ったが、疲れ切っ
さて、翌日5日。5日はゆっくりしていようかと思ったが、ふらふ
それを考えるなら、ヨーロッパに認められたと言って喜んでいるア
それとは別に、昼飯を食いに入ったレストランは最高だった。昼飯
さて、マドリッドに戻り、再びソフィア美術館へ。4階に行く。さ
新しい技術としての映像。死。苦悩。文明とはなにかを問い掛ける
次第に絵画、彫刻を超えて、新たなアートが生み出されていった。
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