2013年1月13日日曜日

サバティカル日記9 バルセロナ②


1月13日 バルセロナ②

 

 スペイン危機と言われていたが、街を歩く限り、全然危機的気配はない。思えばIMF介入前の韓国も一般の生活には何の支障もないような雰囲気が漂っていた。危機は突然、やってくるが、それまでは一般庶民の目からは遠ざけられ、見えないようにさせられる。リーマンショックにしても同じ。まるで危機的感触を感じない人たちの中に突然、何事かが宣告される。見えたらパニックが起きる。日本はどうか。3・11ショックの後、どう私たちは変わったのだろうか。変わったと感じる人はほんの一部で次第に元の黙阿弥と化していった。けれども唱え続けなければ変わるものも変わらないという人たちもたくさんいた。私もそう思い、そのための動きを作ろうとしてきた。けれど、体制側は常に何事もないことを装うから、本当に危機をダイレクトに味わった人間でないと見えにくい。

 今、急速な円安に動いている。ここに来て円安になるというのは海外にいる私にとっては痛い。痛いけれど、国全体で見たときに、実体経済にあっていくわけだから、悪いわけはない。しかし、問題は反動だろう。虚を掴むような政治をずっと続けてきているわけであって、当分は良い感触を持つかも知れないが、今の政治のあり方ではまたしても反動がやってくると思う。それは今までの方法を見てきて感じることであって、明確な理由があるわけではない。だからぬか喜びしないこと。

 

 さて、昨日から今日に掛けて、領収書の整理やら、起きた問題の処理やらメールの返信やら、マリ情勢の把握やら、結構てんてこ舞いであった。

 

 昨日は朝からサグラダファミリアに行った。感動したのはもちろんでそれについては後述するとして、アントニオ・ガウディだとばかり思い込んでいたのだけれど、スペルをよく見るとAntoni である。オがない。アントニ・ガウディでなければならない。何でオがついたのだろう。不思議だった。

 それに加えて不思議な気分に陥ったのは凄まじい程の日本人の数だ。僕は朝9時~11時の2時間、サグラダファミリアにいたが、客の半分は日本人で、次に韓国人、中国人。つまり三分の二くらいを東アジア人が占めていた。またこれらの人たちの9割近くは団体客であって、ツアーコンダクターに連れられてぞろぞろと移動している。日本人がGNP世界第二位(今は三位になったにせよ)になって40年以上が経過しているにも関わらず、精神的には集団でしか動けないのだなあと改めて強く印象づけられた。言葉が分からない等の問題はあるだろう。スペインと言ったらサグラダファミリアというくらい定番化しているからみんな見に来る。僕も行く。けれど、井の中の蛙状態の人たちが外に出ようとすれば、勢い組織で安心して移動したくなるのだろう。そういうメンタリティしかまだまだ持てないのだと思う。このメンタリティを変えなければ、日本はやはり世界とは対抗してはいけない。言葉が分からなくても不安でも自分で動こうという人がもっともっと増えなければ……。失敗しても間違えても、たいていは死なない。よほどでもない限り死ぬことはないのだが、不安でしょうがなくなるのだと思う。日本人はもっと右も左も分からないような状況の中、自分で判断せざるを得ないという立場に自分を置く必要がある。それを若い時からやってこそ、国を跨ぐことができるようになる。

 

 サグラダファミリアは素晴らしかった。最も素晴らしく感じたのは光である。刻一刻と光が変わる。その光のあり方にサグラダファミリア内は絢爛たる空間に変わったり、静けさをもたらしたり、延々と光と空間のコラボレーションによるオーケストレーションが奏でられ続けるのである。この光の動きを間違いなくガウディは設計に取り入れていたはずだ。意図せずにできるものではない。光は光であるが、音でもある。音は時間を内包しつつ、空間の感触全体を変えてしまう。そのようなメタファーとして存在し得ている。スケールの大きさは西洋カテドラルを見続ければ分かるが、極端に大きいわけではない。だが、この現代性はなんだ。素晴らしい現代建築なのである。ガウディが死んで90年近くが経過するというのに、カサ・バリョもそうだったけれど現代アートと言ってなんの不思議もない。

 それは命を孕むからだ。光の命、光と空間の命、そしてそれが時間性を孕んで音を奏で出す。少なくとも僕の中では音になって響いていた。その響きを聴けば、僕自身が生命体となって輝き出す素地になる。空間が僕に溶けて、僕自身が空間的広がりを持つのである。

 

 グエル公園にも行った。ここはちょっと歩き疲れてしまって、ベンチでウトウトしていた。アントニ・タピエス美術館にも行く。素敵だ。が、ガウディを見た後だとそのスケール感の違いで僕の中では勝手に損をしてしまっている。

 疲れ切ってカフェに入ると、マリ情勢が流れている。スペイン語なので何を言っているか分からない。ネットで日本語の情報を調べてみても何も出てこない。英語ではいろいろ出ている。日本は確かにアフリカとは縁遠いだろう。でもまるで出ないのである。

マリの参事官から、フランス人は退避勧告が出ていると知らせてくる。日本大使館としても避難せざるを得なくなりそうとのこと。もちろん来るな!とのメールだ。


 
 本日は、朝から昼1時ころまでは領収書整理。マリ情勢把握。最も楽しみにしていたマリ行きだが、やはり情報を纏めるとボゴタが危険地帯になるのも間近になりそうである。だから、急遽、マリ行きを取りやめることにした。

これだけ決めて、モンセラットという奇岩地帯に行く。ホテルから片道2時間かかる。なかなか凄い地帯ではあって、ここに自分ひとりしかいなかったら強い感慨を得ることができるに違いない。だが観光客だらけで、飯を食ってすぐに引き返す。この間1時間。4時間かけて1時間見る。まあ、それも良いが、僕は風景よりは人が生み出すものの方がずっと面白い。

戻ってきて、さらにマリ情勢把握を試み、やはりダメだと諦めて、マリに到着した日のホテルだけは決めていたので、そのキャンセルをする。あと航空券はキャンセル効かないだろうなあと思いつつ、一応、打診してみる。モロッコ航空とエチオピア航空だ。さて、どうなることやら。でもこれで10万円近い出費だ。とにかく調べたり、打診したりするにも時間が掛かる。ロイヤルエアーモロッコはフランス語でしか返ってこないので、英語で返せとメールを出し直したり。

 

明日は夜バルセロナからマラケシュに移動する。

少なくとも昼間にガウディのコロニアグエル教会とピカソ美術館には行きたいと思う。

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