2013年1月8日火曜日

サバティカル日記6  1月8日 朝 10時45分

1月8日 朝 10時45分

 昨日はよく寝た。9時間も寝てしまった。体調はまだ今ひとつ。気管支が良くない。日本にいるときとは大違いで毎日よく歩く。歩くのは気持ちがいい。思えば、よく歩くなあと思うのはいつも海外で、かつ何らかの助成金をもらって、滞在している時だ。公演ツアーの時は無理。公演目的なのだから無理なのは当然だが、そのような余裕はどこにもない。台本を書きに海外に出てしまうときは、やはり歩く。歩くが、歩いてはカフェに入り、台本をちょろっと書いてまた歩き、またどこかで落ち着いては書くという具合。余裕が台本を進める。毎回、まるで時間がない中で追いつめられるような状態で書くが、海外はリラックスしながら日本語環境から自由になって、仕事とリラクゼーションと両立しながら、である。思い返せば、1988年にフランス外務省の招待でパリに滞在したとき。1994年にACCの助成でアメリカを旅したとき、そして今回。と結局、一番ノンビリしているのはこんな時かも。として考えてみると約19年ぶりになる。よくぞバタバタと動き続けてきたものだ。この19年間で創作した作品数はパパ・タラフマラでは42作品に上る。その他、ワークショップやらP.A.I.での創作、つくばの監督時代の作品等加えれば全部で80作品程度はあるはずだ。

 とは言え、なかなか日本と連絡を取らずに済ますわけにはいかない。便利さが不便さを生んでいる。不便であれば、自分が責任を持たなければならない。けれど便利さは責任の所在を自分自身から簡単に遠ざけてしまう。メールやスカイプなどというツールがあの当時はなく、せめてファックス、国際電話。バカ高い国際電話など使う気はしないからファックス。でも今では連絡が取れない方がオカシイとなる。けれど、こんな8時間も時差のあるところで当たり前に連絡が取れるというのは考えてみれば、世界は妙に矮小化され、かつ、肌身に染みて感じるのは奇妙さだ。しかしこの奇怪に気付かない人たちが本当に多くなった。メールはその感覚を助長させた。世界は日本の延長にしか存在しないから、日本の状況そのものを海外にまで持ち込もうとする。けれど、このような人たちの集まりだと、きわめて奇妙な意見の一致をみる。自己判断の回避である。つまり社会全体で子ども化が起きてきたのである。日本はどんどん幼稚になりつつ、世界の幼稚化の先頭煮立ってきた。幼稚世界は他人事なら気付いても、自分自身のことになると気付かないのが今の若者たちだろう。だから内弁慶化が起きる。幼稚であることを自覚することからしか始まるまい。

 コルドバの街をふらふらと歩き、メスキータに行く。イスラムのモスクを造ろうと始まり、カソリックが征服して入り込んだ建物は妙な感触がある。柱が850本もあるという。以前は1000本以上あったそうだ。漏れ出る光が美しい。その光に当たろうと何人もの人が光に吸い寄せられていく。時間と共に移動する光は空間全体の大きな支柱になっているかのように神々しい。
 その場から場外に出てくるとギターをかき鳴らしている若者がいる。歌はスパニッシュポップスなのだろう。面白いのはちゃんとコブシが回って響いていること。アラブアンダルース音楽ではギターは使わない(と思う)から、これはロマの影響であることは分かる。ロマとは西インド、ラジャスターンの音楽や舞踊で生計を立てた被差別民に端を発し(と言っても未だにラジャスターンにはそのような人々がいる。つくば時代に彼らを呼ぼうとしたこともあった)、ヨーロッパ中に広まっていった。特にロマとしてはルーマニア音楽が有名だ。ルーマニアでもまた、ロマは未だに大きな勢力を築いている。

 それからノンビリと橋のあたりで過ごし、街で最も有名だというレストランに行く。誰もが絶賛するとのことだったが、たいしたことはなかった。まずくはないが、驚くほど美味くもない。

 それにしても空の青いこと。抜けるような青空。バタイユに青空という小説があったが、アンダルシアの青空に雲ひとつなし。スペインに入って以来、雲を見ていない。雲が恋しくさえなってくる。抜ける青空は私の心に青空の心を問い掛けてくるようだ。

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