1月8日 朝 10時45分
昨日はよく寝た。9時間も寝てしまった。体調はまだ今ひとつ。 気管支が良くない。日本にいるときとは大違いで毎日よく歩く。歩 くのは気持ちがいい。思えば、よく歩くなあと思うのはいつも海外 で、かつ何らかの助成金をもらって、滞在している時だ。公演ツア ーの時は無理。公演目的なのだから無理なのは当然だが、そのよう な余裕はどこにもない。台本を書きに海外に出てしまうときは、や はり歩く。歩くが、歩いてはカフェに入り、台本をちょろっと書い てまた歩き、またどこかで落ち着いては書くという具合。余裕が台 本を進める。毎回、まるで時間がない中で追いつめられるような状 態で書くが、海外はリラックスしながら日本語環境から自由になっ て、仕事とリラクゼーションと両立しながら、である。思い返せば 、1988年にフランス外務省の招待でパリに滞在したとき。19 94年にACCの助成でアメリカを旅したとき、そして今回。と結局、一番ノンビリしているのはこんな時かも。として考 えてみると約19年ぶりになる。よくぞバタバタと動き続けてきた ものだ。この19年間で創作した作品数はパパ・タラフマラでは4 2作品に上る。その他、ワークショップやらP.A.I.での創作 、つくばの監督時代の作品等加えれば全部で80作品程度はあるは ずだ。
とは言え、なかなか日本と連絡を取らずに済ますわけにはいかな い。便利さが不便さを生んでいる。不便であれば、自分が責任を持 たなければならない。けれど便利さは責任の所在を自分自身から簡 単に遠ざけてしまう。メールやスカイプなどというツールがあの当 時はなく、せめてファックス、国際電話。バカ高い国際電話など使 う気はしないからファックス。でも今では連絡が取れない方がオカ シイとなる。けれど、こんな8時間も時差のあるところで当たり前 に連絡が取れるというのは考えてみれば、世界は妙に矮小化され、 かつ、肌身に染みて感じるのは奇妙さだ。しかしこの奇怪に気付か ない人たちが本当に多くなった。メールはその感覚を助長させた。 世界は日本の延長にしか存在しないから、日本の状況そのものを海 外にまで持ち込もうとする。けれど、このような人たちの集まりだ と、きわめて奇妙な意見の一致をみる。自己判断の回避である。つ まり社会全体で子ども化が起きてきたのである。日本はどんどん幼 稚になりつつ、世界の幼稚化の先頭煮立ってきた。幼稚世界は他人 事なら気付いても、自分自身のことになると気付かないのが今の若 者たちだろう。だから内弁慶化が起きる。幼稚であることを自覚す ることからしか始まるまい。
コルドバの街をふらふらと歩き、メスキータに行く。イスラムの モスクを造ろうと始まり、カソリックが征服して入り込んだ建物は 妙な感触がある。柱が850本もあるという。以前は1000本以 上あったそうだ。漏れ出る光が美しい。その光に当たろうと何人も の人が光に吸い寄せられていく。時間と共に移動する光は空間全体 の大きな支柱になっているかのように神々しい。
その場から場外に出てくるとギターをかき鳴らしている若者がい る。歌はスパニッシュポップスなのだろう。面白いのはちゃんとコ ブシが回って響いていること。アラブアンダルース音楽ではギター は使わない(と思う)から、これはロマの影響であることは分かる 。ロマとは西インド、ラジャスターンの音楽や舞踊で生計を立てた 被差別民に端を発し(と言っても未だにラジャスターンにはそのよ うな人々がいる。つくば時代に彼らを呼ぼうとしたこともあった) 、ヨーロッパ中に広まっていった。特にロマとしてはルーマニア音 楽が有名だ。ルーマニアでもまた、ロマは未だに大きな勢力を築いている。
それからノンビリと橋のあたりで過ごし、街で最も有名だという レストランに行く。誰もが絶賛するとのことだったが、たいしたこ とはなかった。まずくはないが、驚くほど美味くもない。
それにしても空の青いこと。抜けるような青空。バタイユに青空 という小説があったが、アンダルシアの青空に雲ひとつなし。スペ インに入って以来、雲を見ていない。雲が恋しくさえなってくる。 抜ける青空は私の心に青空の心を問い掛けてくるようだ。
昨日はよく寝た。9時間も寝てしまった。体調はまだ今ひとつ。
とは言え、なかなか日本と連絡を取らずに済ますわけにはいかな
コルドバの街をふらふらと歩き、メスキータに行く。イスラムの
その場から場外に出てくるとギターをかき鳴らしている若者がい
それからノンビリと橋のあたりで過ごし、街で最も有名だという
それにしても空の青いこと。抜けるような青空。バタイユに青空
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